服作りは限りなくインモラルに近いんですよね。 2017/05/24
歳を重ねるごとに、興味が深まってきたことがある。それがファッションである。
もともと、服が好きだった。思い出してみると、小学生のときに、はじめて自分の意思で選んだのは、真っ赤なセーターであった。いっしょにいた母は反対したが、父親が背中を押してくれた。購入先は静岡伊勢丹(当時は田中屋)、ブランドは(たぶん)石津謙介のVANだった。
お年玉を貯めて初めて服を買ったのは高校時代、タグには「issey miyake」の文字。「issey miyake」が何かも知らずに、ただ一目惚れでそのシャツを選んだ。
このところ、やっと気負わずにCOMME des GARÇONSが着られるようになった。とくに一見何の変哲もない真っ白な定番シャツがお気に入りである。
きょうは移動中に、Yohji Yamamotoのブランドで有名な山本耀司(聞き手・宮智泉)『服を作る』(中央公論新社,2013)を読む。いくつか気になる言葉を拾っておくことにする。
「服で表現したいと思っていることをあえて言葉で表すと、『道徳的な人よりも、不道徳な人の方がチャーミングだよね』とか、『生きるということは孤独と友達になることだよね』などです、文学的かもしれません」(p.73)
「作ったものには、その人のコンディションや生活、考えがすべて出てしまう。まじめな生活をしているだけではだめ。会社と家の往復だけをしているような人はインプットが足りないから、新しいものも出てきにくい。ですから、服作りは限りなくインモラルに近いんですよね。まじめで善良なだけの人間には、人をドキッとさせるような服は作れないと思っています」(p.177)
「仮縫いを始めるのは、だいたい夕方五時ごろから、スタッフも、前日の夜までにできなったことを、出勤して七時間ぐらいでやりなおせるからです。それに単純に、太陽がさんさんと照っているときにはやる気が起こりません。服の世界はやはり薄暗い。もっと言えば淫靡な世界なわけで、日が沈む時間帯がいいんです。」(p.179)
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2012.2.29
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