平野雅彦が提唱する情報意匠論| 掻く

平野雅彦 掻く

聞・分・文

聞・分・文

三つの「ぶん」が書くことにつながる。赤ちゃんはその誕生時に声を上げて泣くことで、自己を獲得する。すなわち、分かることだ。分かると云うことは、他者と自己を分けるということだ。それはイコール他者を聞くことだ。また書くという行為は、粘土や紙を引っ掻くことである。それは人類が洞窟に残した痕跡である。またそれは理(ことわり=事や言を割る)ことでり、賀茂真淵いう「わりなきねがい」で、コトを割らないということにも通じる。割るも割らないも、その行為に積極的に関わっていく手段が「文」である。

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