ランボオ あんな男、ちょっといない 2009/11/15

いまの若者に「ランボオといえば?」と尋ねたらその多くは、「シルヴェスター・スタローン」「怒りのアフガン」などとかえってくるだろう。しかしある年代(1980年代中旬以前)までは、間違いなくアルチュール・ランボーと答えるだろう。わたしもその古い人種の一人である。
わたしは最初、確か金子光晴の訳でランボオの詩集に触れた。いや待てよ、小林秀雄かもしれない。で、山積みの本をひっくり返してみたらなんと、粟津則雄訳の集英社文庫が出てきた。しかし、奥付をみたら1992年とけっこう新しい。これは後に購入したものだろう。もしかしたら最初は大学図書館で借りた本をノートに書き写して諳んじていたのかもしれない。
いずれにしろ強烈な印象として残っているのは
「Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青、母音たちよ
おれはいつかおまえたちの秘められた誕生を語ろう、」
の書きだしてはじまる『母音』。
そうして
「とうとうみつかったよ。
なにがさ?永遠というもの。
没陽といっしょに、
去ってしまった海のことだよ」(金子光晴訳)
そう、彼『永遠』である。
きょうの、SPAC(静岡県舞台芸術センター)池田真紀子さんの朗読 ランボオ『愛の砂漠』『地獄の一季』『うわごと(その2)』(池田さんは堀口大學訳を採用)と♬渡会美帆さんの♫ピアノのコラボは冴え渡っていた。終演後お二方と少しだけお話をさせて頂き、もう、一目散に自宅に戻り、本の山をひっくり返したというわけだ。
肉体も精神も、全身全霊をもって固定化することから逃れようとしたランボー。そこから異なるもの、永遠へと一体化しようとした彼の生き方に興じていた学生時代を強烈に思い出した。
自分たちが学生だったころは未だフランスの詩にチカラがあった。21歳から14年間も付き合った女性と破綻したシャルル・ピエール・ボードレール(このころ確か『悪の華』を書いた)、阿片中毒のジャン・コクトーも、ジャック・プレヴェールも、周りの学生は片っ端から読んでいた。おうっと、アンリ・ミショーを忘れたら罰が当たるね。


アルカイック・スマイルの池田さん、素敵。

もうひとつ、アルチュール・ランボオというと、どうしてもわたしはこのCMの印象が強すぎる(笑)
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