平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

教室はまちがうところだ(教員も)   2018/07/04

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■昭和20年から60年まで、静岡市で公立小学校・中学校に勤務していた蒔田晋治という先生がいた。残念ながら既に鬼籍にいった人物だが、大変記憶に残っている先生で、わたしは中学で国語を教わった。確か初回の授業だったと思うが、いきなり縦は畳一畳分、横は5メートルはあろうか、模造紙でつくった巻物をぐるぐると黒板いっぱいに広げると、そこに書かれた自作の「詩」をはつらつとした声で読み上げはじめた。こんな詩だ。

「教室はまちがうところだ」 まきたしんじ・作

 教室はまちがうところだ
 みんなどしどし手をあげて
 まちがった意見を 言おうじゃないか
 まちがった答えを 言おうじゃないか
 
 まちがうことをおそれちゃいけない
 まちがったものをワラっちゃいけない
 まちがった意見を まちがった答えを
 ああじゃないか こうじゃないかと
 みんなで出しあい 言い合うなかで
 ほんとのものを見つけていくのだ
 そうしてみんなで伸びていくのだ

 いつも正しくまちがいのない
 答えをしなくちゃならんと思って
 そういうとこだと思っているから
 まちがうことがこわくてこわくて
 手もあげないで小さくなって
 黙りこくって時間がすぎる
 
 しかたがないから先生だけが
 勝手にしゃべって生徒はうわのそら
 それじゃあちっとも伸びてはいけない

 神様でさえまちがう世のなか
 ましてこれから人間になろうと
 しているぼくらがまちがったって
 なにがおかしいあたりまえじやないか
 
 うつむきうつむき
 そうっとあげた手 はじめてあげた手
 先生がさした
 どきりと胸が大きくなって
 どきっどきっと体が燃えて
 立ったとたんに忘れてしまった
 なんだかぼそぼそしゃべったけれども
 なにを言ったかちんぷんかんぷん
 私はことりと座ってしまった
 
 体がすうっと涼しくなって
 ああ言やあよかった こう言やあよかった
 あとでいいこと浮かんでくるのに

 それでいいのだいくどもいくども
 おんなじことをくりかえすうちに
 それからだんだんどきりがやんで
 言いたいことが言えてくるのだ
 
 はじめからうまいこと 言えるはずないんだ
 はじめから答えが 当たるはずないんだ

 なんどもなんども言ってるうちに
 まちがううちに
 言いたいことの半分くらいは
 どうやらこうやら言えてくるのだ
 そしてたまには答えも当たる
 
 まちがいだらけの僕らの教室
 おそれちゃいけない ワラッちゃいけない
 安心して手をあげろ
 安心してまちがえや

 まちがったってワラッたり
 ばかにしたりおこったり
 そんなものはおりゃあせん

 まちがったって誰かがよ
 なおしてくれる教えてくれる
 困ったときには先生が
 ない知恵しぼって教えるで
 そんな教室作ろうやあ
 
 おまえへんだと言われたって
 あんたちがうと言われたって
 そう思うだからしょうがない

 だれかがかりにもワラッたら
 まちがうことがなぜわるい
 まちがってることわかればよ
 人が言おうが言うまいが
 おらあ自分であらためる
 わからなけりゃあそのかわり
 誰が言おうとこづこうと
 おらあ根性まげねえだ

 そんな教室作ろうやあ

   (※以上、詩の原文。例えば、「ぼくら」「僕ら」などの違った表記が出てくる)




この詩は、後に絵本『教室はまちがうところだ』(子どもの未来社,2004)として出版された。

今回は、この絵本をご縁に、蒔田先生の教え子や関係者が集まり、トーク&シンポジウムが開催される。おそらく蒔田先生の教え子の中では、もっともできの悪い教え子のわたしにも何故か声がかかり登壇することとなった。確かにこういうときには月からスッポンまで、いろんなタイプの人物が登壇する方が話は面白くなる。そういった意味での人選ということであれば、間違いなく愉快な場になるだろう。


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(↑)書名本。 こんな元気のいい文字で、生徒を元気にする先生でした。

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