平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

「小さき」からはじめて    2016/01/01



◆雑誌の対談というのは、日本の発明である。それは、菊池寛の『文藝春秋』の功績だ。話者は相手によって、用意しておいた自分の地図にはない場所へと連れ去られる。そのスリルの共有だ。聴き手、読み手は、その目撃者となる。
対談はライブである。インプロビゼーションである。準備をし過ぎるとかえってつまらなくなる。だが対談者は手ぶらで挑めばいいのかといえば、決してそんなことはない。膨大に準備して、いったん忘れることだ。意外性とは、準備を超えたところにしかやって来ないからだ。
  というわけで、わたしがこれまでに注目してきた二人を絶対に本気にして欲しい。とても期待している。





◆ルソーの『エミール』(1762)は、ときの政治権力や一部の宗教者から敵視され、巴里では焚書の憂き目に遭った。当日、これを30代で手にしたカントは、当時はすっかり習慣となっていた散歩(村人が彼の散歩をみて時計のズレを直したといわれる)を数日取りやめるほど、夢中になったという。読書には、こういう魔力が潜んでいる。





◆「花がなくては死んでも行けぬ」(岡倉覚三/村岡博訳『茶の本』岩波書店,1961)
    
     ですって!






◆新国立競技場のコンペに勝った隈研吾さんにお願いしたいことがある。わたしは隈さんの次の文章に、共感する者である。「大きな建築」も「小さな建築」の思いで立ち向かって欲しい。

「建築の小さきを追求していって、新しい形態やディテールが生まれるともいえるが、身のまわりの小さい物からスタートすると、それがいつの間にか身体と対話を始めて、建築に似てくる考え方が面白い。物という『小さき』から始めて、いつの間にか『小さな建築』にたどりつくのである」(『小さな建築』岩波書店,2013)

そういえば、キケロも、「すべての物事の始まりは小さい」といっていたな。



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