平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

2013 しずおか連詩の会   2013/11/26


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福間健二さんによって、第33編のなかでネーミングされた「ラッキー・スペース・ブリッジ」(幸福な空間 そこに架けられた橋)。実際には、東静岡大橋という。
舞台となった、しずおか連詩の会(県文化財団、県主催、静岡新聞社・静岡放送共催、県教委ほか後援)は今年で14回目を迎えた。


静岡に暮らすある家族である。末娘の悠光、長女のみづ紀、長男の瑞穂、父の喜和夫、そうして父親では連れてはいけない悪場所へ連れて行ってくれる居候のおじさん健二。そんな5人の「疑似家族」によって行われた2013年 しずおか連詩の会「水際をめぐる車輪」の巻。

連詩とは、複数人で5行の発句から、3行、5行、3行、5行と、短い詩をリレーのように連ねながら共同創作していく現代詩(大岡信監修)。

第1編「手のひらに泉をひろげて、まるく抱(いだ)く。/視線は水際をめぐり、わたしの瞳に再び帰る。/底を見抜いてはならない。/車輪の連なりがわたしたちの街を貫通していく。/光を運び去るために。」(文月悠光)

この発編とも言うべき詩を皮切りに、脇、第三、平句にあたる詩が3行、5行、3行、5行と続き、挙句の代わりといっていいのか、第40編はこう結ばれた。

「陸を行くこの静謐(せいひつ)の船にも/刻(とき)がわきたち 喜びの潮がみちてきたようだ/ふくらかに瑞みづしく
また悠々と」(野村喜和夫)

詩人5人の名前が編み込まれた。

作品発表の場(11月24日 於グランシップ風)における解説なかで印象に残ったのが、三角みづ紀さんの「詩が好きで、好きでたまらない」という言葉だった。
三角さんは、ご自身のFacebookでもこんな言葉を刻んでいた。

「詩が好きすぎて、文字が読めない状態におちいっております。
諸々、しばし、お待ちを。迅速に、うごきますから。
しずおか連詩の会、ありがとうございました!」(11月25日)
もはやこの書き込みすら詩に読めてくる。




そういえば、この連詩という試みを振り返る座談で、かつてこんなやりとりがあったことを思い出したので引用しておく(『連詩 闇にひそむ光』岩波書店,2004,pp54-,座談 2004年7月 岩波書店にて)。

谷川(俊太郎)「連詩は、一回の会でたとえば四十できて、それを詩作品として読んで、いい詩だと思えるものが、いまだにひとつもないというが、僕の意見なんですよね」
高橋(順子)「全体で?」
谷川「全体で。つまり、ひとつずつ読むと『ああ、この行いい』とか、『この付けは面白いな』とかって言えるんだけど、ひとつの長い詩として読んだ場合に、やっぱりひとりの人間が書いたよりも、これだけの人数で書いたほうがよかったというものは、ひとつもないんじゃないですか。どう?だから、やっぱり連詩はやってるのがいちばん楽しいな、と。」
大岡(信)「うん」
谷川「芭蕉なんか、どうだったの?あの座というものは、修業の場みたいなもんで、それをつまり文字にして他人にみせるとうことは考えてなかったんじゃない?」
高橋(睦郎)「それは考えていたんだと思いますよ。考えていたから、あとでいっぱい手をいれたんだと思うんです」
谷川「それにいっぱい手をいれるルールが、ありだったわけでしょう?」
高橋(睦郎)「座の場合には、それは、芭蕉に権利があるわけですから」

                    
どうやら連詩には、参加した者だけが実感できる魔力というものが潜んでいるようだ。



・連詩の会 詳細はグランシップ公式サイトで
http://granship.jugem.jp/?eid=719


・参加した5人の詩人
野村喜和夫  文月悠光  三角みづ紀  石田瑞穂  福間健二




ところできょう、静岡大学主催のアートマネジメント講座で知ったのだが、先のロンドンオリンピックではWinning wordsと題した詩のプロジェクトが実施され、英国を代表する5人の詩が永久設置されたということだ。
なかでも、Ulysses(Carol Ann Duffy)の最後の一行が選手村の壁に刻まれたという。

To strive, to seek, to find, and not to yield.


ハレ舞台の五輪で、詩をモティーフにアートプロジェクトを実施するというのは、何とも英国的ではないか。
詩の言葉は、わたしを、ぐらぐらさせる。ぽっとさせる。哀しくさせる。震えさせる。惑わせる。
詩は綴ったその人自身であり、そのときの読み手そのものでもある。いや、少なくとも読み手からはすばやく離れ去っていくものだ。書いた次の瞬間から「わたし個人のもの」ではない。その点、詩的に綴られた日記、とは大きく違う。
今月は、静岡大学人文社会科学部主催、多和田葉子さんの詩の朗読パフォーマンスも聴いた。背筋が伸びる。


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◆2週にわたって平均年齢70歳半ばの高齢者、都合200名弱の方々に「洗濯する女」(ルノワール,1917年制作,1989鋳造 ブロンズ)は「なぜアートなのか」を皮切りに文化・藝術の話をし、翌週には小中学生を対象としたワークショップに立ちあった(文科省採択事業)。学ぶことの意味、学び続ける意欲について自分の中で再考した。


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なぜ洗濯する女がアートなのか???
ルノワール作だから??



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