平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

この辺の風物人情はすべて俳句的だからかも知れませんね 〜中勘助文学記念館〜  2013/09/14





ある公の組織から、静岡市の風景・まちをテーマに年に数本の原稿を依頼された。
その第一弾は、やはり生まれ育った地元でいこうと決めた。

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「今迄、できそうでいてどうしても俳句はできませんでしたが、羽鳥へ来てから随分つくりまた。この辺の風物人情すべて俳句的だからかも知れません。」

そう言ったのは『銀の匙』の中勘助であった。

昭和18年10月、療養のために東京を離れて静岡市・旧服織村新間字樟ヶ谷(くすがや)に移り住み、そこを「粟穂庵(あわほあん)」と名づけたが、その窓から見える杓子菜(おたま菜)によって、翌年「杓子庵」と名前を変えた。

館内で流れていた映像は、昭和29年録音NHKの「作家、自作を読む」といった番組。勘助は『銀の匙』を朗読するが、その朴訥した読み方がかえって物語に深みを与える。


( ↓ )茅葺きは今年の10月から葺き替えられる予定だそうだ。

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( ↑ )杓子庵の窓から見える風景は、おそらく100年前もそう変わらなかっただろう。杓子菜(おたま菜)のつくる景色はこの地の生活を感じさせる。


 杓子庵どぶろく白き後の月  勘助(昭和19年11月4日 杓子庵パンフレットより)

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◆我が母校、服織(はとり)中学校校歌の校歌は中勘助先生作詞
http://www.hatori-j.shizuoka.ednet.jp/profile/kouka.asp



( ↓ )東京朝日新聞 大正2年4月8日 那迦は中勘助のペンネーム

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清少納言が『枕草子』で詠んだ木枯ノ森。
枕草子 115段(小学館『日本古典文学全集』)には、「森は・・・」の下りがあって21の森が挙げられているが、その四番目に木枯ノ森がある(※表記は「木枯の森」)。
そもそも、このこんもりとした中州の島じたいが物語的だし、中勘助流に言えば、俳句的である。

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中勘助の愛した藁科川の中州にある木枯ノ森(こがらしのもり)の山頂には、八幡神社があり、また学問を体系づけた本居宣長の碑がある。

◆碑の撰文については、本居宣長記念館公式サイトに詳しい。
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/kogarashi_kahi.html 

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( ↑ )夏のなごり。



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