平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

「年中」と「四六時中」の意匠 芹沢銈介  2013/05/23

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芹沢銈介(1895-1984 静岡市生 人間国宝)のサインは既に作品である。1973年4月3日(火)〜15日(日)大阪・梅田 阪急百貨店で行われた際の図録「芹沢銈介 人と仕事」。このほか古書店で手に入れた芹沢工房刷りによる作品(傳)も数枚手元にある。



詩人で作家の佐藤春夫は『芹沢銈介 人と仕事』(1973年4月)という図録にこんな文章を寄せている。
「新聞に法然上人の傳記を小説として書かうと思ひ立つたとき時、挿畵家の相談を受けて直ぐに思ひ浮かんだのも彼であった。ただし凝り屋らしいこの人の仕事が、果たして日日の仕事たる新聞小説の挿畵に間にあふかどうかは少しあんじられたので、小川(※1)を通じてそのことを聞いてもらひ、併せて僕の依頼に應ずる氣があるかどうかをも瀨ぶみしてもらつたら、時間は大丈夫間にあわせる。ぜひ試みたいと、大ぶん乘り氣のやふだつたといふので、既にその手並みを知ってゐるわたくしは、はじめて挿畵を試みるこの人に多少の不安のある様子を見せてゐる新聞側を説いてこの人の決定したものであつた。
 ところが、ある圖案風で大まかなうちにこまやかな神經の行きとどいた仕事が一般の讀者にもよくわかつたと見えて、到るところで好評の聲を聞くと新聞でも大よろこび、わたしもいい挿畵家を發掘し得たと大いに満足した。
 ただ時間に十分間にあふばかりではなく、こちらが文獻に從つて書くだけでは實はよく知らないことなども、わざわざ宮内省まで出かけて行つて取り調べるなど必要以上にとさへ思はれるほど、忠實に克明な仕事をする人だと知つた。」

(※1 小川龍彥)

濱田庄司は「柳宗悦は美しさに対して、目盛りのない物差で測れるような眼がほしい、そして非妥協に徹することは大切だといった。芹沢君の今度の会は柳へのよい答を示すことであろう」と祝った。
そうしてその柳宗悦は、「模樣の道が困難なのは君も知ってゐるだらう。誰も氣安く入つてゆくが、そこには危險が多ひのを知らずにゐる者が多い。眞の模樣を摑む事は、美そものを摑む事に等しい。それは難行の道なのである。陶器でも漆器でも又染織でも近代には眞の模樣が乏しい。我々の前には借り物か、意味を取り違へた醜いものが積まれてゐる。道が難儀なのである織の道でゝもあるなら、まだ危險が少ない。模樣ものには上下の差が激しい。誰でもよい模樣をすぐに產めるものではない。之を想ふと芹澤君のした仕事は、數でもまだ少ないが、既に見堪へがある。見ていて厭きない美しさがある。之だけものを模樣化し得る人を他に搜したとて、そうすぐあるものではない。先日河井(※2)や濱田(※3)とも話したが、京都での會も樣なものを他でもすぐ見出せるかと云ふとそうはゆかない。天分と平常の注意深い觀察と、そうして努力とが結びついてこゝ迄來たのである。模樣の世界の人を待ってゐた僕にとつて、芹澤君を得た事はどんなに悅びである。」と歓を尽くした。  
(※2 河井寛次郎  ※3 濱田庄司)

わたしの仕事部屋の入口では芹沢作品の「ようこそ ようこそ」の暖簾が客を迎え、机の後ろでは大きな暖簾「風」が空気を孕んで閃いている。年に何度か登場する風呂敷は芹沢の「いろは」だし、大学の研究室では、「風」や「喜」、栗の意匠などの茶腕の敷物が学生らを迎える。図録の類いもそれなりに手元に集まっている。最近ではグラフィックデザイナー杉浦康平氏に、芹沢作品の豊穣な文字世界を教示された。

現代アーティストらが、世界的な高級ブランドとコラボして商品を大量に世に送り出す。「作品」はバッグになり、財布となる。カップになり、スカーフにカタチを変える。だがたとえどんなに大物だろうと、それらは急速に消費されていく。代わりのアーティストが登場すると同時にそれらはあっという間に風化する。分かりやすく云えば「(そのバッグや財布を)持っていることが流行遅れで恥ずかしい」となる。
一見同じように芹沢作品は暖簾となり、風呂敷に展開され、座布団にまでなって人の尻に敷かれる。だがそれらはまったく色褪せることを知らない。それは、この人間国宝の鋭い眼光が最初から日常をデザインしているからである。敢えて「民藝」という言葉を持ち出さずにいうなら、「平生」(へいぜい)「日頃」「朝夕」「起き伏し」「四六時中」をカタチにしているからなのである。見えづらい日常にカタチを与えているのである。芹沢作品は「年中」と「そこ・ここ」の意匠なのである。


とはいえ、やはり作品は生で見たい。
わたしは、県外から友人たちが来ると時間が許す限り芹沢銈介美術館を案内する。
◆芹沢銈介美術館公式サイト
http://www.seribi.jp

美術館の設計は、かの白井晟一(1905~1983)であることも意外と知られていない。


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( ↑ )正確にいつまで開いていたのか覚えていないが、静岡市(現・葵区)七間町にあった「珈琲店 維也納」(ういんな=店主 白沢良)は、その意匠が芹沢銈介であった。写真はマッチ箱。維也納は芹沢銈介や柳宗悦らが集う倶楽部であり、サロンでもあった。


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( ↑ )かなり確かな某古美術商から某古書展を経由して出た芹沢工房の型絵染。サインがないのは試し摺りのためか?!


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