平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

全部間違いだ    2013/03/24

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静岡市にある駿府城公園の桜も8〜9分咲き


こんな文章に遭遇した。

記号論理学をつくったラッセルとホワイトヘッドの共著『プリンキピア・マセマティカ』っていう大きな本がある。私は1940年にラッセルの12回の講義を聞いた。ラッセルはこう言うんです。壇上に立って、「ああ自分の考えていることは、全部間違いだ、と感じるときがある」。これは記号論の立場としては、成り立たないんだ。矛盾しているから、そういうことは言えないんです。だけれど、そういう一瞬の感情を自分は押さえ(※ママ)られない。それは記号論理学の創始者として語っているのではなく、人間として自分の存念を語っている。
(中略)
さて、もう一人の共著ホワイトヘッドの、彼が何十年もやってきた講義の最終講義に、私は立ち会った。ハーヴァード大学の付属教会で、彼はよたよた出て来て、壇上に上がって話して、ぼそぼそと最後の言葉を話して壇を降りてしまった。
(中略)
ホワイトヘッドの最後の一言はね、“Exactness is a fake” ━━━精密さなんてものはつくりものだ、と言ったんです。それが、彼の終わりの講義の、そのまた最後の一行なんですよ。記号論のはじめをつくった二人が、一方は大学の教壇で、もう片方は教会でそういうことを言っている。(2007年)(『言い残しておくこと』鶴見俊輔)


これは先日ギャラリーsensenciの『あむあむレクチャー 〜こわれやすく編む 切なく編む』で話をしたことと、わたしのなかでは同じ文脈にある言説である。そもそも、精密さなんてものはfakeなんだよ。大仕事を成してなお、全部間違っているかもしれないとおもってしまう「強さの弱さ」なんだよ。
 

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「白紙でもいいから投票へ行きなさい!」という言い方がいつの間にかまかり通っているようにみえる。端的に言うと、わたしは、白紙投票はダメだとおもっている。正確に言えば、その言い方がおかしいと考えている。どうしても無責任におもえる。理由は「白紙でもいい」、そうおもった瞬間、人はきちんと考えなくなってしまうからだ。面倒くさい。時間がない。だからマニフェストもみない。そういった怠惰なムードが、実際にきちんと投票する人にもいい影響を与えない。
仲の良い友達がそう言っているから、その人になんとなく投票する。「そう言う人ほど後になって文句を言う」のかどうか、わたしは知らないが、もしかすると腹を黒くして利害関係で投票する人の方がまだ物事を考えているかもしれない。
今日は静岡市議選。


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※今日現在、twitter上でつぶやかれている平野雅彦さんは、私平野雅彦ではありません。


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