平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

小学校5年生のM子ちゃんへ  2013/01/29

MUKOUDA2



M子ちゃん、メールありがとう。何も気にすることはありません。手当たりしだいに読みあさってください。子供用、大人用の本なんて便宜的な言葉にとらわれることはありません。

M子ちゃんは、向田邦子という作家を知っていますか。とても残念な話ですが、1981年、飛行機事故によって51才の若さで亡くなってしまいました。

その向田邦子という人は、まさにM子ちゃんと同じ小学校5年生のときに夏目漱石の『吾輩は猫である』に出会っています。そうして、そのときのことをこう振り返っています。

「読んでいる間、私はこの本から、ひげをはやした偉そうな夏目漱石先生から、一人前の大人扱いされていました。
おとなの言葉で、手かげんしないで、世の中のことを話してもらっていました。たわいない兄弟げんかやおやつの大きい小さいで泣いたりすることが、ばかばかしくなってきました。
ほろ苦い味や皮肉。しゃれっけ。男というもの。そして小説。偉そうにいえば文学。
なんだからわからないけれど、大きく深くて恐いもの・・・。これを教えてくれたのが、この本だったように思います。二十五年か三十年あとに、字を書いて身すぎ世すぎをするようになろうとは夢にも思いませんでしたが、最近になってこの本は私の中の尺度として生きているという気がしてなりません。」


向田邦子は、上に挙げた言葉のつづききに、こんなことを書いています。

「初めて手にした本は、初恋の人に似ています。初めて身をまかせた男性ともいえるでしょう。
さして深い考えもなく、だれにすすめられたわけでもなく、全く偶然に手にしたこの一冊は、極上の香り高い『ほんもの』でした。このことを私はとてもしあわせに思っています。」


あ、ちょっとM子ちゃんにはむずかしいかなあ(汗)(汗)
でもね、本との出会いとはそう言うものなのです。M子ちゃんがたとえどういった態度をとろうとも、心のどこかでそれが必要だと思った瞬間、それは向こうからやってくるものなのです。
いっぱい本を読んでくださいね。気になったらためらわずに手に取ってください。あ、でもね、そのドキドキ、ためらう気持ち、手に取ったら何かとても大変なことが起きてしまう、という直感はとても大切なことなのです。
その本はM子ちゃんの二十五年か三十年後を変えてしまうかもしれませんが。「なんだからわからないけれど、大きく深くて恐いもの・・・」、そう、これが「文学」のおもしろさです。

そうしてM子ちゃんもこれから先、全く偶然に一冊の本を手に取るように好きな男の子に出会うんです。ひげをはやした偉そうな平野センセが予言しておきますね(笑)


※上記引用、向田邦子『眠る盃』に収録されている「一冊の本」より。


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※今日現在、twitter上でつぶやかれている平野雅彦さんは、私平野雅彦ではありません。


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