平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

戦争と平和、中学生Mさんの違和感に当てずっぽうに答えます。  2011/01/21

nemunoki1




中学生のMさんからまた質問?のような短いメールをもらった。本人に断ってこの場に載せる。ただし、絵文字はカット。それ以外はそのまま。


「こんばんは。お元気ですか。お仕事大変ですか。でもメールします。読まなくてもいいです(でも時間があれば読んでください)。
こないだ授業で戦争と平和について勉強しました。でもなんだか、先生の言う戦争と平和って最初から違和感があるんです。何かうまくいえません。わかりません。わかりますか。」



わかりません(苦笑) これだけではまったくわかりません。平野せんせは神様ではありません。でも予想することはできます。
きっとMさんは、担任の先生?が「戦争」と「平和」の二つを比較して使っていることへの違和感を無意識に感じているのではないでしょうか。
それは、果たして「戦争」の反対は「平和」なのかという問題です。

平野せんせは「平和」の反対は「戦争」ではなく、「暴力」だと考えています。
今、世の中には、戦争という言葉ではくくれない非平和なことがたくさんおきています。
それは言葉による暴力、お金を使った暴力、資源を使った暴力、情報独占による暴力、地位を利用した暴力、無視することの暴力などがそうです。これらはそれまで顕在化(わからない言葉は調べてね)していなかった非平和 = 暴力です。いつの間にか非平和が、玉を撃ち合うだけの戦争ではなくなってしまったんですね。

そういえば帝国ロシアの作家トルストイに『戦争と平和』、確か原題は『War and Peace』かな、がありますね。Mさんは、読みましたか。もしかしたら担任の先生は無自覚にその慣習にとらわれて言葉を使ってしまっているかもしれませんね。一方、言葉の概念に敏感なMさんはそれを無意識に気づいていて、「最初から違和感があるんです。何かうまくいえません。わかりません。わかりますか。」と感じたのではないでしょうか。

これは平野せんせの勝手な推察です。違っていたら教えてください。またメールください。平野せんせは、また仕事に戻ります。
じゃあね、バイバイ。



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